涼みに山へ 本文へジャンプ

やっと11日に晴れたと思ったら、それから暑い日が続いています。
あんまり暑いので、ちょっと時間を作って横津岳へ行ってきました。

横津岳の麓付近の道は、ほぼ直線で鬱蒼とした森の中を進むのですが
その途中、森の奥から水蒸気のような物が見えてきた。

その水蒸気の方向へ道をそれて行って見る事にしましょう。

すぐに大川へ合流。
大川とは、横津岳へ向かう道沿いに流れている川です。
川原へ着くと案の定、砂防ダムの水しぶきが外気の暑さの影響で水蒸気になっていた。


それが、日光に照らされて白く輝き、しかも川を渡る風が涼しい・・・
川の水の温度は15℃以下でしょうから、外気との気温差は15℃はあるはず。
まさに天然クーラーです。

暫らくぶりに晴れたし、野山へ出掛けるのも久しぶりですから
こんな些細な事でも嬉しかったりします。
さて、時間もありませんから、山の上を目指して行きましょうか。
横津岳のそばを流れる大川で涼しい思いをしましたが、頂上へ向かう道路へ戻れば
当然暑さも戻ってきます。
この道はずっと舗装路なので面白くありませんから
途中であちらこちらと寄り道をしながら高度を上げて行きましょう。


今、しっかりした林道は殆んどがピストン林道
私が20代の頃、この横津岳界隈には沢山の林道がありましたが
今は風化の一途を辿っています。

今回はメイトで来たので、上り勾配10%を越す登りは辛いですね〜
なんとか30kmを維持するのがやっと。
前に乗っていたメイト50だとローギヤで10kmぐらいだから
これでも随分早くなったんですけどね。


先週は時折激しい豪雨が降ったせいか、中腹から上の路面には砂利が多く見られます。
それから、この時期の野山で必ず見られるようになった
ハンゴンソウも黄色い花を咲かせていた。
さて、横津岳手前には鳴川岳という山があって、頂上直下まで林道が続いていたのですが、今はこの通りの廃道状態となっていて、メイトだと無理ですから、ここで写真を撮っておしまい。


7合目?ぐらいまで来ると、少しだけ涼しくなってきました。
メイトに搭載してある温度計の針は25.5℃・・・まだ暑いかな?


そろそろ鳴川岳が下に見えてきました。


そこから少し走れば、今は閉鎖中の横津岳スキー場に到着。
スキー場から上にも道は続いていますから、行ってみましょう。
ムフフ・・・ここからが、ある意味で本番です。

横津岳スキー場から上は道幅が狭くなり、路面の両脇に黄色いラインが入っています。


ここから約1km走ればゲートがあって行き止まり。

そこからは横津岳山頂レーダーの関係者のみしか入ることが出来ません。
登山者や遊山者は、その少し手前の駐車場へ車を停め、徒歩で行くことになります。


ゲートが見えてきました。

この先のことは、私の第一回目のブログにほんの少し書いてありますので
興味があればこちらからどうぞ。

ゲート手前の駐車場へ戻りましょう。




ここには、『ばんだい号慰霊碑』と書かれた看板があります。

『ばんだい号墜落事故』とは・・・
昭和46年7月3日、午後6時10分頃、東亜国内航空(現在は日本航空)の札幌丘珠空港発、函館空港行きの「ばんだい号」YS−11が運行乗務員2名、客室乗務員2名、乗客64名を乗せたまま、ここ横津岳に激突しました。
そして乗務員などを含む68名全員が死亡する最悪の事故となったのです。


ばんだい号慰霊碑へは、看板の示す矢印の通り
駐車場から反対方向へ林道が延びています。


かなりガレた登りで、登り終われば左手に横津岳スキー場のリフトが見えてきます。


そして、その先に慰霊碑があるのですが、写真には撮りません。


見たい方は検索して探して見て下さいね。

ここからは、今から30年近く前のお話。


当時、私はハスラー250というこんなバイクに乗っていました。

ある日、いつもつるんで走っていたバイク仲間、友人Sに「夜の横津に登ってみないか?」と誘われて登ったのが始まりだった。
当時のハスラーのヘッドライトは6V25Wしかなく、いわゆる「あんどんライト」でしたから、夜間走行は大の苦手。
登山道を走れば、目の前が少し明るいというだけで、周りは真っ暗闇・・・それでも道から時々見える函館の夜景は素晴らしく綺麗なのが僅かな救い?路面が良く見えないため、景色をマッタリと見る余裕はありません。
そんな苦労をしながら、友人Sと駐車場へ到着。

夜の山は静寂そのものでした。あまりに静か過ぎて、なぜか耳鳴りがしたのを覚えています。

友人S「この先にスキー場のリフトがあるから、そっち行って見るべ」との誘いに乗りリフト乗り場へ。

夜の誰もいないリフトで少し遊んだ後・・・

私、「あっちに見える塔、何よ?」

友人S「ばんだい号の慰霊碑だべ」

そしてどちらからともなく、そのままばんだい号慰霊碑へ行ったのです。

私「夜にこんな場所ヤバくないかい」

友人S「ヤバイな!戻るべ・・・」

そんな感じで、その日は下山しました。

あくる日、友人Sが「今晩、また行ってみないか?」との誘いがあり、その誘いに乗ってばんだい号慰霊碑へ行った。

暗いし、怖いし、寂しい場所なのに拒否できませんでした。

横津岳という山自体の魅力なのか・・・それとも・・・

二回目も同じように、ばんだい号慰霊碑まで行き、友人Sとしばらく休んで帰るだけ・・・

そして・・・なぜか、次の日も・・・次の日も・・・次の日も・・・

いくら若気の至りとはいえ、いい加減一週間も通い続ければ「何かがおかしい」と気づきます。

友人Sに「今日は横津に行くのやめるべ!」と言いい、友人Sも快諾。

ところが、私の中で何かが変・・・手持ち無沙汰でイライラしてくる・・・

何者かが呼んでいるような気がします。

結局、一人で横津岳へ行く事にした。

今までは、友人Sと一緒でしたが(バイクの腕の違いで、上に着くまでに数百m離されますが・・・)一人だとかなり心細い・・・

それでも何とか慰霊碑手前の駐車場まで到着・・・すると・・・友人Sがいるじゃありませんか。

お互いに驚いたったらありません。

Sに聞いてみると、やはり行かないとは言ったものの、いてもたってもいられなくなり、ここまで来たそうです。

こりゃ〜何かに呼ばれているかも知れない・・・本当にヤバそうなので

私「上(慰霊碑)まで行くの止めるべ!」

友人S「うん、止めるべ・・・」

その日を境に、ばんだい号慰霊碑へ行く事は無くなりました・・・
あくまでも慰霊碑までは・・・

それから私も友人Sも、お互いに連絡を取り合っていないにも関わらず、

誘い合わせたように約2ヶ月間に渡り、意味も無く毎日、毎日、慰霊碑手前の駐車場へ通い続けました。

そして2ヵ月後、ある事がきっかけで、私は横津岳へ登らなくなった。

「さあ〜今日も横津へ出かけるか」と、準備をしている最中の事。
数日前に遠い親戚で不幸があり、両親だけが札幌へ出かけ、たった今帰ってきました。
少しだけお土産を期待してたのだが、やっぱりそんな物はなかった。

その代わり、私の親がどこぞのお坊さんに拝んでもらったという数珠を買ってきた。
親「お前、数珠を持っていないだろ?必要な事があると困るから買っておいたからな」と、その数珠を私の手に持たせてくれました。

すると、これから行くはずの横津岳が何だか面倒臭くなってきたのです。

その上、今晩のテレビはなんだっけ?とか、最近模型屋さんに行ってないから、たまには行ってみるか?とか、ゲーセン行って『ブロック崩し』しようかな?と、頭の中で詰まらない事が沢山湧いてきた・・・

そして、「今日は横津行くのや〜めた!明日にしよっと・・・」となって中止。
翌日には「今日もや〜めた!明日行こう」と、そして明日、明日行こうと思い続けているうちに・・・『もう、横津行くのや〜めた!』となってしまったのです。

さて、その数珠は、今でも通勤時や野山へ出かける時には必ず持参しています。
今までそのおかげで無事故なのかは分かりません。
しかし、これからも持ち続けることでしょう。

一方、友人Sは、私が横津岳へ登らなくなっても暫らくの間は登り続けていましたが、突然本州への就職を決めて函館を離れて行きました。

ちなみに、2ヶ月間もそんな所へ通い続けると、不思議な事も・・・

それは、謎の登山者を何度か見かけた事・・・
最初に登山者を見たのは、スキー場がそろそろ見えてきそうな場所だった。
あまり気にも留めず、「夜に登山する物好きもいるんだな〜」ぐらいに思い、そのままバイクで追い越した。

友人Sも同様に登山者を追い越した事があると言っていたので、その登山者の身なりを聞いてみると青いネルシャツにグレーのズボン、紺色の登山靴、背中にはキスリングザックと、私の見た登山者と全く一緒。

数日後、その登山者をまた見かけてしまった。


服装は全く同じで、彼はこの場所(画面真ん中の茶色いポールの様な物がある場所)にうずくまっていたのです。いくらハスラーのライトが暗いといっても人間と物を見間違う筈はありません。正面からヘッドライトに浮かび上がった登山者は生気を失っているように見えました。

『あれれ、こりゃ〜この世の者じゃないな・・・』と、第六感が働くや否や、全身サブイボ!(頭皮までサブイボができたのはこれが初めて)すると、その登山者はフッと蒸発するかのように、ヘッドライトから消えてしまったのです。

そんな思いをすれば、それだけで人は寄り付かなくなるものですが、その後も横津岳に登り続けたあの2ヶ月間は一体何だったんだろうと今でも思います。   

さて、怖い昔話はこのぐらいにして、ゆっくり横津岳を下りていきましょうか。

おっと、その前にもう一つ。


スキー場から、慰霊碑前の駐車場へ向かう途中、この場所まで来るとなぜか到着した気分になりました。ですから、ここまで来て帰っても良かった。まあ、もう少し走れば広い駐車場があるので、たまたまそこまで行っただけの事なのです。

30年近く経つと、この木もすっかり太く、大きくなっていますが、その枝ぶりは当時のままですね。


横一文字に出た枝があまりに見事なので、この枝にロープを掛ける人が出やしないかと思い、友人Sと『首吊りの木』と命名したっけ・・・
「木の精」がいれば怒られそうですから、大変申し訳ない名前を付けたものだと反省しております。


少し雲っていますが、スキー場上からの景色は見る価値十分です・・・って書いても、前の話があるからなぁ〜


また少し古い林道に入ってみると、尖がった山が見えてきました。
横津岳には『袴腰岳』『烏帽子岳』という地元の人間には有名な山が連なっていますが、この山の名前は『烏帽子山』と言ってかなりマイナーな山。
登山道も無く近くまで行ける林道もありません。
ですから、人にはあまり登られていない山の筈。


メイトでの林道(廃道)走行には限界があるので、横津岳に登る舗装道路から
ほんの数百メートルしか奥へ入れません。


いつもの林道走行なら、プーさんの足跡やら落し物を沢山見かけるのに、今回は人間の落し物を2つも見つけてしまいました。


お外で自分の分身を大地に還す際には、しっかりと証拠隠滅して欲しいものです。

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