寿楽園と△175.1

 冬になると野山へ出かける機会が激減し、ヲタク生活に入る私です。それでも地図を見て、次の探訪地を思考する事もある。今回は、その一つ、北斗市当別の葛登支岬灯台裏に、時の豪商、秦家.の寿楽園という庭園があったそうです。寿楽園について情報を頂いたり調べてみたが、どうやら今は殆ど手入れされる事もなく荒廃しているらしい。

寿楽園については、ここここをご覧頂くと分かると思います。
この情報から寿楽園とは、秦家の庭園、別荘で、豪商秦貞三郎が造営し(現在の秦商事)大正10年(1921)貞三郎の還暦を祝う碑が建ち、島崎藤村が「寿翁遺跡碑文」の一文を草している。巌谷小波の「花長者水にも富める眺めかな」の句碑と共に現存。また、本州から名石を運び、大小7つの池や洋風の建物があったらしい。 私が中学生の頃、島崎藤村、芥川龍之介から伊藤左千夫まで(←何でまで?)読み漁った時期があったので、島崎藤村ゆかりの物があるのなら是非見てみようと出かけてみました。仕事が午前中に終わったとはいえ、出発は14:00とかなり遅めです。16:00には暗くなるから急いで寿楽園を探さないといけません。
 
当別到着14:40、気温−2℃、メイトも私も真冬モードだから寒くないけど、アイスバーンの林道はスッテンコロリンし易いから、いつも通りのトコトコ走行です。寿楽園とおぼしき道に入ると予想通りの廃道だった。葉のない今だから問題ないが、夏場だとそれなりに大変でしょう。 

 
廃道を少し走ると、駐車場だったろうという広場が現れ、正面にゲートが現れた。画像左上がそれで、ゲート下の白い部分はテント地で出来たカーテン。これでゲートを塞いでいたみたいです。ちゃんと全貌を写さないのは、最近こういった場所を荒らす輩がいるとの情報があったので、今回は詳しい情報は書きません。(書けません) ここにメイトを停めて、歩いて探訪しましょう。ゲート先には、喫茶店跡があるから間違いなく寿楽園です。その先を見てみるが、いつも走ってる廃道と何も変わりません。軽い藪漕ぎしながら進むと(夏なら相当の覚悟が必要)左側(北側)に何か見えてきた。

 
どうやら、これが石碑のようです。右上の画像を読むと秦貞三郎との文字も読む事が出来た。更にその奥にも、石碑が2つ見つけられたが写真は撮りませんでした。理由は・・・ご想像下さい。 

 
南側には30m四方ぐらいの池が見えた。池のそばまで行ってみたが、ここも荒れ果てた池というだけです。しかも足元が悪く池のそばへは行けませんでした。さて、日も暮れて来たからお次の目的地へ行きましょう。

 
寿楽園そばにある、小高い山の上にアンテナが立っいるのが以前から気になっていました。地図で見ると三角点175.1とある。日暮れも近いが、道もしっかりしてるから行ってみる事にしましょう。路面がアイスバーン状のワダチだから前輪がいきなりツルリと滑る。何とか転ばずオットト程度で前進、約2.1kmの道だが地味に時間がかかってしまった。

 
頂上には携帯電話施設があり、そこで行き止まり。見通しも良くありません。途中からの景色は良かったので、そこで一枚パチリして今日はおしまい。

 あとがき

我が家へ帰って夕食中、妻に今日の行き先を訊かれたから寿楽園と答えたら、なんと妻が知っていました。行ったのは今から25年ほど前らしいが、当時は見事な庭園だったそうです。池の奥へ行くと見晴らしの良い場所があり、津軽海峡と函館山を一望出来る絶景との事だった。私の見た寿楽園とは、かなりの違いを感じてしまいました。


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